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ひとつの光景として考えたとき、女が男の胸に顔をうずめている姿というのは、見ていて悪いものではありません。頼っている女と頼られている男、かわいい女とたくましい男という関係で、本来の男と女のあるべき姿のような気がします。 これが逆に、男が女の胸に顔をうずめて、ヨヨと泣き崩れていたら、「気持ちワルーイ」と思う人がほとんどでしょう。しかし男の本性は、じつはこの「気持ちワルーイ」のほうにあるのです。 男は女というより、母のような存在の胸に飛び込んで、思いっきり甘えてみたいという気持ちをつねに持っています。 口では偉そうなことをいっている男ほど、そういうかたちで甘えることに飢えているのです。乳房願望は性的関係の変形で、その本性が乳房に対してあらわれてきたものにすぎません。 本当は甘えたいのに「お母さんなんて嫌いだ!」とダダをこねている子供を想像すれば、この男の第二の本性がお分かりでしょう。 「いままでご主人を強い男だとおもって尊敬してきたのに、定年の翌日から急に弱々しくなっちゃってガッカリしました。こんな女々しい男とは、もういっしょにいたくない」 こういって、定年を迎えた夫婦が離婚する例が増えているのです。かつては「濡れ落ち葉族」といわれた中年男性です。ホウキ(つまり妻)にべったりまとわりついている葉っぱ(夫)だというわけです。使い道はまったくありません。 妻のほうから離婚を申し入れ、「いままでの苦労賃としてこれはもらっていきます」と、退職金をもっと出て行ってしまうのが、かつての傾向です。今では、妻の法律上の権利が強くなりましたので、離婚する際にもいろいろと優遇措置が取られているようです。 男というのは、口では偉そうなことをいっていても、じつは心弱い動物です。そのことに、見た目にも弱くなってから気づいても遅いのです。強がっているあいだに見抜いて、ときには胸に抱いて甘えさせてやらねばなりません。 そうすれば男はまた元気に働きに出ていきます。しかし定年のように、社会的な役割を終えて、人生の最終コーナーにさしかかれば、もう強がる必要もなくなるから、この男の本性がもろに出てきます。 そのときになって「こんなに弱い男だとは知らなかった。もういっしょに暮らしたくない」というのでは、はっきりいって男がかわいそうです。 本来、そんな女々しい男が、精いっぱい強がって生きてきた、いや生きているのです。だから定年になって急に弱々しくなったら、「ああ、やっとわたしのところに戻ってきたのね」と強く抱きしめてやるべきなのです。 そうすれば、男は自信を回復し、余生を夫婦で楽しむのにさしつかえのない程度には、男らしく振る舞えるようになるはずです。 |
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